神道ガイダンス

神様と神社についての知識をまとめました。

社について

鳥居

神様がいらっしゃる所と、人が生活している所の境界を示したものです。
起源は、中国の門だと思います。先日台湾に参りましたところ、建物や、寺院、神社の入り口には、鳥居風の門がありました。この門と同じような鳥居が大和の一宮である三輪明神大神神社にあります。それを三ツ鳥居と言っています。中央と左と右に入り口がある門です。このような形の鳥居を称して、三輪鳥居と言っています。

この三輪明神のご祭神の由緒が「海を光(てら)して依り来る神」とあります。これは、神様が海から来たと考えられます。当時、海からというと、中国からということになります。中国の人々が、自分たちの神様とその技術を持って日本に渡来てきて、三ツ鳥居を造ったのでしょう。
この三ツ鳥居が日本風に変えられて、色々な形となり、各地に普及して行ったのではないでしょうか。一つの考察です。

手水

神社の入り口にあり、お参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清めるところです。
これは、禊の形を変えたものと言えるでしょう。日本では、川や海で身体に水や海水をかぶり心身を清める作法があります。この作法が、手水の源だと思います。
不祥事を起こした政治家が、選挙で勝ち「禊が終わった。」と言う禊はこの禊を指します。

中国の史書に魏志倭人伝がありますが、その中で「わが国と同じように水をかぶる作法がある」とあります。禊が古くからあることはこれで分りますが、禊も中国から伝わったものでしょうか。
蛇足ですが、神職が神前で行う作法、足は左を先に出すなど、お辞儀の仕方等々大半が中国の儒教の作法であります。

社殿

神社には神様が鎮まる本殿を始め、拝殿、幣殿が併設されている所が多々あります。本殿は神様がお鎮まりになっている所、拝殿はお参りの方がいる所、幣殿は拝殿と本殿を繋ぐ所です。
古くは特別な建物はなく、神様が鎮まるところは、山や森、海等々でしたが、次第に特徴ある大きな岩、大きな樹木に神が鎮まると考えました。そして、人々が自然界から、人々の住む里のほうに、神様をお招きして、祠を、社を作り始めたのです。東京近辺では珍しいですが、全国的に見ると祠だけの神さまの方が多いと思います。

社殿は、まず小さな本殿だけが作られお参りをしていましたが、参拝者が雨に濡れるのが嫌なので拝殿を作り、拝殿から本殿に進むときに雨の跳ねが着物に付いて汚れるので石を並べ、やはり、濡れるのが嫌なので屋根を付けようと幣殿を造ったのです。今でも石だけを並べた石の間の神社があります。

金幣

本殿の手前の幣殿のところに、一つの柱か、又は、三つの柱があり、その左右に金色に光り輝き上から下にヒラヒラと下がってお飾りされている祭具があります。これを金幣と言います。神様がここにいらっしゃいますよ、と言う依代です。

この金幣は、本殿の神様が直に見えたときには無かったと思います。幣殿が無いとき、又、拝殿が屋根と柱だけの時には無かったものです。

拝殿でお参りするときに、冷たい風や雨に会わないように壁を作ったのですが、お参りする神様が見えなくなってしまった、さあどうしようかと考えて、金幣を通して神様をお参りする作法を考えたのではないでしようか。

この様に考えるのも、拝殿と本殿が石の間で繋がり、拝殿の本殿側の壁に金幣を飾っている神社もありますし、拝殿の本殿側の壁がなく、本殿が直に見え、本殿と拝殿が石の間でつながっている様式のところでは金幣が無い神社が現在でもあるからです。

鏡は古来から、種々の祭具の中でも特に大きな役割を担ってきましたし、政治的な役割も果たしてきました。

また、現在はどこの神社でも、本殿の前に金幣と一緒にお飾りされています。これは、この鏡により天照大御神様に繋がるようにするためであります。日本書紀に「吾が児、この宝鏡をみまさむこと、まさに吾をみるがごとくすべし」とある事によります。

八咫烏(やたがらす)について

八咫烏は、俗に三本足のカラスと言われ熊野の大神様のお使いと言われています。
日本書紀によると、神武天皇が、熊野から大和の方に皇軍しているとき山道が険しく、趣え行く方角が分らなくなり躊躇していました。その夜天照大御神が夢の中に現れ「いま、八咫烏を使わすから、それを道しるべとせよ」と仰せられました。次の日になると、夢でのお告げどおりに八咫烏が飛んできて、軍は八咫烏に従い、その飛ぶ方向に行軍し目的地に無事に着くことができたと言うことです。そのため、八咫烏は熊野神社のお使いとされています。

導くと言うことは、知恵がないとできませんし、また・無事に目的地に導いたことは、幸があるほうに導いていくと言うことで、八咫烏は英知を表し、幸を導く、お使いとされています。
他の神様では、稲荷神社の狐や、春日大社や鹿島神宮の鹿、八幡神社の鳩、日枝大社には猿などが神様のお使いとされています。

年中行事について

歳旦祭

新年を祝い、御賀の寿詞を奏し、皇室の弥栄と国運の隆昌とを祈念し、併せて氏子崇敬者並に杜会の繁栄と平和とを祈る。

祈年祭

古来毎年二月に年穀の豊穣と共に、皇室の御隆昌と国家万民の安泰を祈る祭儀で、既に大宝令にもその名が見え、由来する所極めて古いことが知られる。明治以降は、二月十七日を以て祭日とし、今日に及んでゐる。この祭の主旨は、只に年穀の豊穣にとどまらずあらゆる産業の発展、国力の充実を祈請するもの。

厄除

日本には古来から、人生の節目を「厄年」として忌み慎む慣わしがあります。厄年とは、人間の一生のうち、何らかの厄難に遭遇する恐れの多い年齢をいい、医学の発達した現代においてもなお、万事に慎まねばならない年齢とされています。
一般的には数え年で男性は25歳、42歳、61歳で、女性は19歳、33歳、37歳とされ、中でも男性の42歳と女性の33歳は「大厄」といい、その前後の年齢も「前厄」「後厄」として、特に忌むべき年齢といわれています。厄年というのは、現代の生活にもあてはまる人生の転換期であり、肉体的にも精神的にも調子をくずしやすい年齢といえます。

厄祓(やくばらい)の方法としては、神社に詣でて祈祷していただくのが一般的です。

大祓

大祓(おおはらえ)は六月と十二月に罪穢を祓い清める神事です。神社において、六月末日と十二月末日の年二回、大祓を行います。神道では、人は本来きれいな心をもっていると考え、生活している間に、知らず知らずにその心もくもり、罪を犯し、穢にふれて、きれいな心から遠くなって行くのを、祓いによって、本来の心に帰ると教えます。肉体的な清め祓いというより、むしろ、心の穢を取りのぞくことが大切なのです。

形代で身を撫で息を吹きかけるのは、心の穢を追い出してしまうことを意味し、自分の穢を人形に移し、人形をわが身の代りにして清めてもらうのです。形代は撫物、人形などとも呼んで、紙を人の形に切り抜いたものです。神社で受けた形代に、家中の者の氏名を書き、大祓の日、これを手に持ち、身を撫で、一家が、町が、そして日本の国が罪や穢のない、清く明るく正しい社会となるように願い、息を三度吹きかけて、神社に持参し、お祓いを受けます。

例大祭

恒例によつて一年に一回(護国神杜については二回の場合もある)執行はれる最も重要な祭祀。多くは祭神または神杜にとつて特にゆかりの深い日を以てあてられている。

祈祷について

初宮詣

「初宮詣」とは、親子ともども出産という大事を、神さまのご加護によって無事に終えたことの奉告と、子供の健康と成長、そして今後のご加護をお願いするために神社へ参詣する人生儀礼の一つです。 通常、男児が生後三十二日目(または三十一日目)、女児は三十三日目に参詣します。初宮詣には、子どもに祝い着を着せ、夫の母(姑)が抱くのが習慣になっています。祝着は、男児が黒地の紋付きで、女児は友禅の晴れ着が伝統的です。神社への参詣日は、赤ちゃんの健康を第一に考えて選びましょう。

七五三詣

古くは「髪置き(かみおき)」「袴着(はかまぎ)」「帯解き(おびとき)(紐(ひも)解き)」の祝いといいました。髪置きは三歳の男女児の祝いで、もう赤ん坊ではないという意味から、今まで剃っていた髪をこの日から伸ばし始める儀式です。袴着は五歳の男児の祝いで、初めて袴を着ける儀式、帯解き(紐解き)は七歳の女児の祝いで、着物の付け紐を取り去り帯に替える儀式です。 現在では、その年齢にあたる子どもに晴れ着を着せて、11月15日に神社へ参詣し、子どもたちの成長と健康を感謝すると共に、今後の成長とさらなる健康を祈願する儀礼となりました。本来、数え年で祝いますが、最近では満年齢で祝う割合が高くなりました。

神前結婚式

昔は、結婚の儀式は、自宅の床の間のある座敷で行われていました。床の間は元来神々を祀る空間ですから、神々あるいは家の御先祖の前で婚儀を行う伝統は相当古いものです。

地鎮祭

地鎮祭は、一般的に「ぢちんさい」と云われますが、「とこしずめのまつり」です。
地鎮祭の起源は古く、持統天皇の御代(西暦690年)にはすでにこの祭の記録があります。古代より土木・建築等に伴う重要な祭りとして行われてきました。地鎮祭は、その土地の守護神に無事完成を祈願する大切な祭りです。又、工事の進展に伴い、上棟祭や竣工祭を行います。